起承転結

承の章 空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように

 道北なのに、今年の暑さはどうだ・・・
 朝からメッシュジャージで走り出すが汗ばむほど。昨年の実績で持ってきた防寒装備は文字通りのお荷物かと。



 北へ向かう宗谷国道は塩狩峠を越える。道路で越える分にはたいしたことのない峠だが。



 この峠を有名にしたのは、昔に鉄道で起こった事故のこと。
 ブレーキが壊れ、コントロール不能状態に陥った列車を、命を賭して止めようとした鉄道員の話だ。



 そのひと、長野政雄さんを慰霊する碑がたつ駅は、今は無人となっている。
 今の世ではこうした事故が起こることはなくなって・・・故障の可能性がなくなったわけではないから列車事故の可能性がなくなったのではなく。



 名寄から山を目指した。
 名寄ピヤシリスキー場は、俺が滑ったことのある最北のスキー場で、日本でも有数の雪質を誇る。どちらかと言えばジャンプで有名な地ではあるけれど。



 そのゲレンデ下から、林道が続いている。
 ピヤシリ越えを林道で行ってしまおうという計画だ。



 山を登るにつれ天気が悪化してきた。雲が低いためで降るほどではないだろう。峠から山頂までも林道が続いているのだが、一般車両通行止めで歩けと。この天気では何も見えないのでわざわざ行くことも無い。



 結構急な坂道なので、下りでスピードが出てしまうが、このバイクの乗りどころはどこなんだろう?どうにもまっすぐ走ってくれなくてキョロキョロと。意外にモタードのXT250Xの方がこういうダートには強かったのか?
 先も見えないのでゆっくりと下るほうが安心かと。だんだん林道走るのが苦痛になってきた。



 道の脇に現れたキタキツネ。近づいても逃げない。もちろん野生動物に対する一定の間合いは保っているけれども。
 いろんな動物を見ることが出来るのが林道。本州なら狸やウサギが良いところだが、キツネは北海道ならではかな。



 林道を出て峠を下る途中、某S社のテストコースが。立ち入りはもちろん、撮影も禁止です。ええ、撮影禁止です(汗



 北海道にはかつて、いくつもの鉄道があった。それらは行き止まりの盲腸線であることが多かったが、それはどこかへつなげる計画を持って作られながら、それを達成できずに時代が変わって来たためだろう。
 ここにもかつて鉄道があった。その名は「美幸線」で、その意は美深から枝幸を結ぶ計画だったからだ。残念ながらその計画が達成されることはなく、日本一の赤字路線として国鉄改革早期に廃線となっている。



 その終点であった仁宇布駅は、今もまだ線路が残されている。そしてそれをあることに活用している。

 「トロッコ王国」なる施設・・・いや企画か・・・がこの地で行われている。それは、かつての美幸線を利用し、エンジン付きのトロッコを自分の手で走らせることが出来るものだ。



 切符を買う。1500円。
 入国審査などと言うが、保険も何も無い?何も書かなかったからそうではないかと思う。

 一応運転できるのは自動車運転免許を持つ人に限られるが、確認されるわけではない。まあ要するに大人ならOKとなる。



 車両はさまざまな形がある手製のトロッコ。エンジンは農業用だろうか。
 2〜3人乗りのものから、多人数が乗れるものまで状況に応じて使い分けている。

 連休の今日は多くの人が集まっており、待ち時間が発生していた。車両もほとんどのものを使用し、20台近い編隊になっていた。トロッコを楽しむ目的としてはやや趣に欠けてしまうが致し方ない。



 車庫ではトロッコの製作や修理が行われるようでいろいろな機器が置かれていた。まあ修理工場レベルである。
 どれほどの設計がなされているのかがわからないが、画一化されていないのでそれなりの現物合わせ感が強い。



 長い時間待っていたら、集団が帰ってきた。



 待ち時間が長くなったのは、一台の車両が故障したことが原因だ。しかも仁宇布寄りの車両であったために全車が足止めを食っていた。
 スタッフが別の車両で迎えに行って連結して牽引してきた。これはこれでおいしい・・・とも言えるが、一抹の不安。



 我々の番が回ってきた。
 人数と人を見て車両の割り振りを決める。

 一人での参加で、いかにもバイクという装備であったためか。与えられた車両は他より車輪が大きい、速度の出るものだった。



 ブレーキは直接車輪を押さえるもの。かなり強く踏む必要があるようだ。
 アクセルはレバーを引くもの。スプリングリターンしないので手放しで走れるようだが、今日の状況では無理だろう。



 順番に走り出すが・・・
 20台も居てはペースは激遅。それでもトロッコならではの開放感が良い。森の中、風を切って走る。



 途中には川を渡るところも。鉄道橋なので欄干もないが、まあ脱線はするまい・・・



 終点まで5kmほど。運用上駐車場がある場所を終点にしている様だ。この先に線路があるのかはわからない。
 ここで折り返しを行うために一台ずつ反転させているのだが、今ここにループ線を作っている最中だった。これが出来ればいちいち方向を変える必要が無くなる。
 ただし、これ以上の距離延長は出来なくなるということだが・・・


 そんな時、後方でガツン!という音がした。


 なんと、最後尾を走っていた車両がその前の車両にぶつかった音だった。
 後方の車両は大型で大人数乗れるものが充てられていた。それらには家族連れが乗っていた。



 ぶつけられた車両はすでに止まっていたために大事には至らなかったが、はずみで脱線してしまっている。追突によるショックの大きさを物語る。



 原因は、最後尾車両のブレーキ連結ロッドを止めているボルトが抜け落ちたためだった。まったくノーブレーキになっていたわけだ。もっとも大型の車両で、惰性もかなりあっただろう。エンジンブレーキのきかない構造になっているから余計に。
 この車両には油圧式の非常ブレーキが取り付けられていた。ところが乗っていた人はこの存在を知らないという。教えていないわけだ。目の前にあっても、パニック時にこのレバーの意味を考えることが出来るはずはない。

 王国サイドとしてはあまり大きな事に思っていなかったのではないか?適当なボルトをくっつけて走らそうとしていた。乗客側がそれを拒否して「歩いて帰る」と言い出したのは至極当然のこと。
 保険も無いだろう、と最初に書いたが、こういうときにどうなるのか。またこれらの車両製作の折、安全に対する意識はどうなのか。

 この事故が報道されることはなかった。(たぶん)

 私見だが、この企画の先行きはかなり怪しいという気がする。
 何かが起こる可能性はある。人身事故でなかったのが幸いだが実際に事故が起こっているのだから。



 雨が降り出した。どうも俺の北海道は悪天候に見舞われることが多い・・・
 仁宇布から同行していたバイク乗りと音威子府で分かれた。

 有名な黒い駅ソバは時間が遅く営業終了していた。
 駅内にはかつてここに接続していた天北線の資料館が。廃止線区のなかで数少ない乗車経験のある線区なのだが印象が少ない。ただ、この絵にかかれた特急車両は走っていなかったのではあるまいか?



 走っていくうちに目に付いた看板。「北海道命名の地」?



 ふ〜ん、なんでもここでこの人が命名したんだそうな・・・
 もっと大々的に宣伝しても良いような気もするが。



 宗谷国道を離れ、バイクを海に向けた。



 サロベツ。北海道で残っていた未踏の地。
 ここはバイクでなければダメだろう。そう思ってきた。



 晴れていればここから利尻富士が見えると言う。
 北海道を極めるには利尻・礼文はかかすなと人は言う。俺は今のところその必要性に気づいていないので予定はない。



 砂浜へ降りられるかも・・・というところだが、砂はやわらかく断念。Uターンはどうする?
 さすがはセロー、右手の壁を利用してフロント上げのターンを一発。こんなに簡単に回るのか・・・こんなこと、普段乗ってるバイクで出来るウデなどどこにも持ち合わせていないが、こいつはそれを易々と・・・結局適材適所と言うことだな。



 荒涼とした原野が広がる。



 そして道は果てしなく続く。

 ♪果てしなく続く道 立ち止まる若者よ

 若者、と呼ばれるうちに来ることは無かったが。



 最北の町稚内で鰊やツブ貝と言った北海の味を。
 気象台に勤務していたという、父親と同年配の男性と会話を楽しみながら夜が更ける。

転の章 はまなす




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