南へ
春の声を聞いてかなりになる。今年は雪の降る季節が長くなって・・・というより後ろにずれて・・・いたのでまだまだと思っていたが、突然変異のように春が来た。だからすぐに春に対応できないままにすでに4月。
暖かくなったと言っても中途半端な時期だけにどこへ行こう・・・
紀勢道を大台で降りた。
進路を南へ向けた。
街道沿いに滝原宮。皇大神宮の別宮とある。
木々に囲まれた静かな参道から宮入り。このあたり、手水を川で行うところが多い。
ここには4つの宮がある。お参りには順序があるのだ。
左から2番目が瀧原宮、左端が瀧原へい(漢字にして良いのかな?)宮、右から2番目が若宮神社、右端が長由介・川島神社である。何度も鳥居を潜り、何度も参拝を。
つかず離れず寄り添う鉄道線。梅ヶ谷は山から海への玄関口。ここをすぎると峠を下って場面は海になる。
交通量の多い道路脇で落ち着かないが、こんな駅でゆっくり列車を待つのも良い季節になってきた。
すでに桜の季節だが、梅ヶ谷だけに梅。
熊野古道への玄関口でもある。
そして道もマンボウが出迎える荷坂峠を下って海へ向かう。
熊野灘の海岸は外洋をいちばん近く感じさせるところ。飽くことなく寄せ返す波をただ眺める。
お昼もここで済ませようか。
左手におにぎりを持ってぼんやり食べていた。
突然、左手に衝撃があった。
・・・おにぎりが!?
消えた・・・
犯人はこいつだ!
音もなく急降下してきて、俺の手から奪い去っていった。いや凄いこいつは。
惜しむらくは、その瞬間を目で見ることが出来なかったことか。
焼きそばは浜まで降りて隠すようにして喰った(汗
この近辺の道は何度も変わっている。細かった道が拡幅されるとともに、拡幅の難しいトンネルは新たに掘ることで大きくなった車と多くなった交通量をさばいていく。
古いトンネルのいくつかは歩道として第二の人生を過ごしている。こうして手入れされたトンネルは幸せな方で、使われなくなって荒れていくものや、荒れることを恐れて閉じられていくものもある。
温泉地として有名な紀伊勝浦をあえて外す。ゆかし潟のほとりに湧く湯川温泉、かつてのホテルは姿を変え、周辺にはいくつもの小さな温泉が出来ていた。
海に近い駅としていろいろな例が挙げられるが、ここ湯川も海のすぐそばにある。
近頃南洋ではくじら漁に関するトラブルが告げられている。
くじら漁が文化である太地。その心境や如何に。
鯨を食べたのは小学校の給食の佃煮。大人気のメニューだった。
実のところ、以降、鯨を食べたことがない。スーパーの魚コーナーへ行けば今も鯨肉は手に入る。刺身として食べるのに鯨より鮪などを手にしてしまう、それだけのことだ。鯨は佃煮、そういう刷り込みがあって、佃煮を作るのが面倒な、そしてあの味を再現することが出来ないから手を出さないだけ。
少し山へ入れば古座の一枚岩。
日本のスケールもそれなりに大きいなと。
南紀は林道王国でもある。本州の最南あたりを走る林道はどこも走りやすく、スケールも大きい。
海岸線に半島が見えてきた。
奇観橋杭岩にはそれぞれ名前があるらしい。まさに橋の杭の様な岩が立ち並ぶ様には圧倒される。
そして岩の間からも半島の灯台が見える様に・・・
海まで来たら海の物だろうと。地域の名物サンマ鮨、そして刺身などを。
そうか、橋杭岩から見える灯台は南端のそれとは違うんだ・・・
さっきまで南端だと思って写真撮りまくった俺の立場はどうなる・・・
灯台など見てしまうと気がはやるが、地形と方角考えればわかりそうなもんだが・・・
そして、本州最南端に到達した。
ここ潮岬では、灯台は端になく少し離れたところにある。
だから目標物がなく、やや唐突に最南端はやってくる。
展望台から見える海は丸く見える様だ。16mm、換算24mmのレンズにはまっすぐな水平線が見えるのみ。
「水平」という言葉は横にまっすぐなことを言う。水平線が丸いなんていうことになると、水平の定義そのものがあやふやになって仕事的に困るのだが・・・て、せいぜい何mというレベルの話の中では微々たるもの。
本当の最南端はこの岩かな?
証明書も買っておきましょう。高級セットもあるようだがノーマルなやつを。
そして最南端の地は、広々とした草原となっていた。
北のそれとは違う。北の地は「最果て」と気取って見るが南の方をそう呼ぶ例を見ることは比較的少ない。なんというか緩い空気が流れている。それは南の暖かな気候によるものなのか。
これ以上は行けない。これが最後なんだ。そういった悲壮感はどこにもない。
さあ着いた着いた。じゃあ帰ろっか・・・
そんなとこかな。
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