其の七 旧線の隧道
北陸道を米原から北上していくと、木之本を過ぎて複雑にルートがからむあたりで、2本の道路の間、下の方にトンネルが見えます。なにか気になるトンネルです。
このトンネルは、かつての鉄道トンネルだということです。国鉄が廃線になり、路盤を道路に転用したものです。
北陸線の敦賀付近はいろいろとルート変更などがあった地域です。昔は米原ルートが無く、琵琶湖航路を利用していたこともあったとか。そんななか、木之本から敦賀の区間は、現在は敦賀トンネルを通っていますが、昔は現在の北陸道にほぼ沿ったルートをとっていました。
北陸本線としての役目を終えたあと、少しの間柳ケ瀬廻りの線として残っていたこの区間、しかし長きにわたることはなく配線となっています。
木之本から国道365号線を行くと、余呉湖のあたりに柳ケ瀬という地が現れます。ここから件のトンネルへ行くことが出来ます。
高速道路から見えるのはこの柳ケ瀬トンネル。
鉄道のトンネルで単線であったため、車でもすれ違いができません。距離の長いこのトンネルは信号機を設け、交互通行としています。
この区間、今ではさほど急な区間ではありませんが、蒸気機関車にとってはそこそこ力行するところであった様です。長いトンネルがあると石炭の煙が蔓延する。それにより犠牲者が発生していたことがこの区間の新線切り替えに至った経緯としています。
大型自動車は物理的に通行が出来ません。高さ制限が3.5mであり、一般的な道路の3.8mより低くなっています。また距離が長く暗い。危険なために自転車や歩行者も通行できません。バイクは通行できます。
柳ケ瀬トンネルをすぎてしばらく行くと、改装されていないトンネルが残っています。小刀根トンネルで、明治14年開通となる歴史の深いもの。
ここは自動車で入ることが出来なくなっています。バイクは入ることが出来ますが、かつての路盤は荒れたままですぐに終わっています。
向こう側に見えるトンネルは現在車道になっているトンネルです。断面が大きいので改装されているのかも知れません。
現在のJR北陸本線に合流するあたりで道路も国道8号線に出ます。旧線の柳ケ瀬区間はここで終わりです。
敦賀の町は昔から変わっていないのですが、北陸本線は敦賀以北のルートも昔とは変わっています。
国道476号線を行くと、北陸トンネルの側に出ます。
北陸トンネルは敦賀から今庄までの山中峠超えの難所をさけるために掘削されました。
このトンネルが出来て今庄までの所要時間は大幅に短くなっています。
この北陸トンネルでは、後年列車火災を起こしています。食堂車に使用されていた石炭コンロが原因と言われています。
山中超えもトンネルが続きます。いくつかのトンネルは交互通行の信号もありますが・・・
信号がなく確認しながらの走行になることも。まあバイクなら車とすれ違えますが。
全体的に車はスピードを出しています。狭いのでライトの暗いバイクの場合は注意が必要です。
杉津のあたり、不自然にルートが下っていくと思ったら高速道路を潜りました。完全にルートが残っているわけではなくなっていますね。
いくつものトンネルを越えてきました。どうもこれが最後のトンネルの様です。
難所の山中峠。行き違いのために信号場があるのですが、急斜面なために蒸気機関車では発進が困難です。
そのためにスイッチバック式の待避線を設けて、勢いを付けていたのでした。
トンネルの横に平坦な路線を造り、そこへ頭から突っ込みます。全車両が本線から抜けたら後退して、待避線へ入るというもの。
馬力のある今の車両であれば必要の無いこうした工夫が、古い路線にはいろいろと施されています。近年スイッチバック等は速達化の妨げとして廃止されているところが多い。車両の近代化でスイッチバックする必要が無くなり、そのためにいちいち運転手が前へ後ろへ行ったり来たりするのは時間の無駄ということですね。
かつての待避線はその性格上、フラットなダートとなっています。
現在の地方線区は車両の長さも短くなっていますが、かつては長い車両が多かったために、またその列車に十分な加速を与えるためにこの待避線は結構な距離があります。
終点にあるシェルターは山仕事用に使われているようですね。レールで組まれた上屋が鉄道施設であったことを示す様です。
峠を下っていくと、旧駅跡がありました。山中峠のスイッチバックはここから始まっていた様です。
町は小さく、この路線が今も残っていたとしても利用者は少ないであろうことも予想出来ます。運行の都合で作られた駅という性格が強いのでしょうか。
現在も使われている南今庄の駅の手前に、北陸トンネルの出口がありました。ここで旧山中峠超えの線区は終了となります。
北陸トンネルを通れば十数分でたどり着けるであろうこの区間、峠超えでは信号待ちも含めて1時間近い時間がたっていました。
道路においても、高速道路の他に木の芽峠も開通し速達化を達成していますので、今後もこの区間の道路は今のまま残っていくことになるでしょう。これ以上の近代化にならずに旧線の旅を続けられるというのは喜ぶべきことかな。
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