第45話 ヒトより旨い酒を飲むために
ずいぶん前のことになるか。
時代はエコであった。省資源を求めていた。
車などにしても同じで、燃費の良さが売りのひとつになっていた。特にホンダはその先端を走り、トヨタあたりが追いかけていた様な時代。
こと燃費に掛けては、バイクの世界でも競争はあった。
ホンダにはスーパーカブがリッター145kmを誇っていたところにスズキが4stバーディーで160kmを表示するなど激化していた。スーパーカブには一時はリッター180kmなどというモデルもあったはずだ。
そんなスーパーカブのエンジンを使って、燃費を追求してみたらどうなるだろう?
そういう趣旨の競技が行われていた。
それが、ホンダ・エコノパワーレースだった。
元がスーパーカブのエンジンであるから、費用も安くて手が出しやすい・・・実はスーパーカブに限らなくて良い。ホンダの50ccエンジンならなんでも構わない。それがたとえ2stであっても・・・ので、仲間で費用を出し合っての参加も可能になりそうだった。
ならば、と募った仲間が都合十数人。職場の仲間ばかりだったので予定は調整しやすい。盛り上がるのは早いのですぐに計画が膨らむ。
各々の担当が決まっていく。俺の担当はステアリング系統の設計となった。そこはそれ、機械屋であるからして本職であるわけで・・・皆仕事が終わってからそのまま職場で設計作業を。大物部品製作や工業部品の購入は会社通すのも何だから知り合いの会社でやってもらったり、作業場を借りて皆で作ったりと、作り上げるプロセスを楽しんだものだ。
ほとんど全員がバイク乗り(なぜかほぼ全員オフロード乗りだったのだが)であって、エンジンなど弄ることも多少経験があった。
ただ、我々が普段エンジンを弄るのは、速くする・強くするために弄るわけだ。
ところが、このエコノパワーレースはそうではない。とにかく燃料の消費を減らすためのチューニングである。勝手が違っていた。
いろいろと経験者にアドバイスを求め、エンジンを作り上げていく。リードバルブ付きのシャリィのキャブが良いと聞けば投入し、SSのアルミシリンダーが良いと聞けばこれも導入。当初解体屋で探してきたエンジン4機は燃費云々以前の時代のものだったのでエンジンも新しく購入。あるところにはあるもので、エコノパワー専用にホンダが何台かを確保しているものを手に入れたり・・・
苦心したのは駆動系。自転車のフリーホイールを使うことがわかった。タイヤももちろん自転車用。ところが問題点は、自転車は右側チェーン、スーパーカブは左側チェーンであることがネック。フリーホイールを逆向きに使うための工夫は機械屋の知恵の見せ所だったが。
ドライバーには職場の女の子が決まった。
フレームは、その女の子の体格に合わせてスリムに作った・・・あとで困ることになるのだが・・・
毎日の作業に、少しづつメンバーの集まりが悪くなってくる。結局2〜3人だけの作業となる日が増えた。
それでも作業後の一杯がとても美味い。その一杯のために真夏の作業が続く。
そうして出来上がったマシンのシェイクダウンテストは近所の河原にあるサイクリングコース。みんながバイクで集まったためにシェイクダウンなんだか河原走行会なんだかわからなくなったが・・・
それなりに手応えも感じ、初参加はホンダの天竜川テストコース。ボディさえ出来ていない車体で結果は散々だったが。
それでもその結果を受けて、また多くの面々が車作りに携わった。残り少ない本戦までの時間でボディ製作、各部リファインを進める必要があったが、土壇場になると力を発揮するのが我々で・・・
大会2日前、ついに車は完成した。
そして、大会。車4台にもなるメンバーで茨城県は谷田部まで遠征と相成った。
全国から集まった参加者が次々にコースへ導かれていく。我々の出番が来た。
エコノパワーレースは、1時間の制限内に5kmのコースを5周する。それがレギュレーションである。
すなわち、どのような走り方をしても良いわけだ。25km/hで一定して走る作戦のチームもあったが、一般的な戦略としては40km/h程度まで一気に加速してエンジンを切り、惰性で走るというものになる。我々もそのための車作りをしているので自転車のフリーハブが必要になっている。
決勝では、もちろん下から数えた方が早かったのは言うまでもない・・・
しかしながら、初挑戦で400km/リッターを超えたのは大いに自信になった。優勝は1000kmを超えているが、ベスト20は700km台で届く。数百ccしか入らない燃料で争うレースでは、なんとかなりそうな希望が。
翌年、メンバーは壊滅的になった・・・
チームリーダーも俺も前年の職場には居なかった。
結果的に、車は機械屋を続けていた俺がひきとることになったが、独りで多くのことが出来るわけではない・・・
フレームを少し改良し、ボディをスリム化し・・・ドライバーも男に変わったわけで、細すぎるフレームに難儀した。
このカラーリングは3年目のもの
その年はしかし、不完全燃焼に終わってしまった。
3年目の意欲がエンジンに手を入れさせた。新しいエンジンを入手し、シリンダーを削りポートにも手を入れ、点火系も変更した。
トップチームはオイルレスにして軽量化とフリクション低減を狙っていた。その手法はもちろん取り入れた。
そして、それが命取りになった・・・
本気で800km/リッターを狙っていた。
メンバーの時間的な問題から、本戦一発勝負となった上に、雨という条件が重なった。
空気の薄い夏場において雨は空気密度を上げる効果がある。きちんとセッティング出来ればそれなりの数字も出たのかも知れない。
問題は、オイルレスのエンジンを守るための調整がうまく出来ていなかったことだ。
予選中に雨をはねあげて不調になったエンジン、予選完走出来ずにピックアップされてきたマシンのセルを回す。エンジンはかかった。アイドリングしないセッティングなのでかるくアクセルを煽る・・・
きゅっ!
その瞬間、終わった。
近所のバイク屋で旋盤を借りて治具を作ったり復旧を試みたが、上死点付近で焼付いたピストンは使えるものではなかった。もし再生できても成績は期待できなかったのだが・・・
その日のビールは、不味かった。
決勝の日、さらに大雨。本戦を見ることもなく、帰路についていた。帰り着く頃にラジオが告げたエコノパワーの話題。
優勝記録は、なんと3000km/リッターを超えた!
本気でベスト10をめざし、800km/リッターをターゲットにしていた俺たちは何だったんだ・・・
翌年はさらに各面々の調整が付かず、本戦への参加は出来なくなった。車も作っている時間はなく、壊れたエンジンを動くようにしただけで中部大会へ。
もう、成績をもとめる車ではなかった。もういいから楽しんでこい、と。とにかく抜きまくって来いよ、と。エコノパワーの趣旨にはあるまじきだが。
俺たちは末席ながら全国大会に参加していたチームだったわけで、そのときの旗や装備ももちこんで派手にやった。パソコン持ち込んでみたり(処理するデータが多いわけではない。格好だけ)
序盤からハイペースで飛ばした車は、結果的にステアリング系統を壊して最終ラップにリタイヤした。俺が設計した部位だが・・・
しかし、この日はもう勝負はどうでも良かったので(結果?140km/リッターでブービーよ)これもまた笑い話になって終わり。
そしてこの日のビールは、美味かった。
でも、一番美味かったのは、初年度に車作りをしていたころだろう。
結局俺たちはエコ活動が目的ではなかった。一生懸命になにかをやったたあとの旨い酒が目的だったわけだ。
なにを隠そう、初年度のチーム名「ダイナマイツ」は、「大生一丁」から来たものだったのだから・・・
追記:その後、学生主体となったエコノパワーレースから我々は撤退することとなった。近年は電気自動車などに移行しつつあり、我々小遣いレベルでの参加はもう出来ない・・・
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