いつかの海は
海は普通に考えれば夏に訪れるもの。
しかし、冬の海はまた違った顔を見せる。何も冬の海は荒れ狂う北の海ばかりでなくてもいい。穏やかな日差しの海もまた冬の海だ。
バイクで冬に海に行くのは、そこが暖かいからでもある。
我が町、とりわけ「平成の大合併」で隣町まで広がった今は、海が近くにある。
どちらかと言えば木曽三川を中心とした川の町の雰囲気があるにしろ、七里の渡しを古に持つ海もまたこの町の特徴でもある。
だが、なぜかこの町で海を見た記憶が薄い。ごく日常的に見ることが出来る海(通勤途中にも河口から見える)なのだが、身近過ぎて気付かぬことか。
一歩入れば港町らしさを垣間見ることは出来る。
ただ単に、自分の中にある「いつかの海」とは違っているだけ。
常滑の新舞子海岸は、極日常的に通った海。いつの頃か・・・そう学生時代に。
学生時代、交通手段は常にバイクだった。中型免許を取ってバイクに乗り始めた頃、ヒマが有ればここまで走ってきた。わずか1時間もあれば届くところだったから。名古屋を少し離れただけで海は格段にきれいになり、晴れていれば対岸に四日市の工業地帯が見える。やや霞のかかった今日、対岸は望めなかったが。
セントレア・中部国際空港は今年開港した。関西空港とならぶ海上空港で、橋を渡ってアクセスする。
バイクではあまり縁のないところかも知れない。ここまでバイクで行く意味がとくにある訳ではない。ここから飛行機に乗って、着いた先でバイクに乗る・・・のが理想の形だが。
セントレア開港で伊勢湾フェリーが港を移ってきた。
鳥羽から師崎まで就航していたフェリーの航路を移動したわけだ。フェリーは直接空港島には着かない。対岸の前島地区(本土側)に到着し、シャトル船で空港島へ入る。車は前島に置いておくという算段だ。
フェリーの航路移動は、使用上は便利になったのではないかと考えられる。すぐに高速道路へも連結できる。だが、岬の先端から船に乗るという旅情めいたものは薄れるような。旅の手段としてはどうか・・・
冬のツーリングで温泉というのも、湯冷めすることを考えるとあまり良くないのではあるが暖かくなった昼頃ならばまあ良かろう。
最近の技術は深く掘ることで温泉を人工的に湧出させているので、何処を掘っても湯は出るものだが、ここは濁った塩水で暖まることうけあい。2階が通常の温泉で、3階には水着で入る遊びゾーンがある。ここの湯は透明な様だから温泉とは違うのか?
ついでにお昼にしましょう。せっかく海へ来ているのだから、海のものを。
タコ飯と大アサリの焼き物を。アサリはシンプルに醤油で焼いて欲しかったが・・・
さて、暖まって腹もふくれたので先へ行こうか。先端が近づいてくる。
そして、知多半島の先端、師先へたどり着いた。
ここもまた、いつかの海。
そう、学生時代には夜になるとここまで走ってきたものだった。
なぜか冬に来ることが多かった。冬の夜、バイクを港に止めて海を眺める。缶コーヒーを1本。そして帰る。ただそれだけ。それだけのために走ってきていた。
伊勢湾フェリーの鳥羽航路はセントレアの開港に合わせて常滑に移った。実際にここから伊勢湾フェリーを受かったことは無かったのだが、ここから繋がらなくなったという事実は一抹の寂しさを覚える。
だが、まだ伊良湖までのフェリーは健在だった。これで三河湾を一周することは出来る。
今日はもともとそのつもりだったのだが・・・
これが冬でなければ間違いなく伊良湖行きのフェリーに乗っていただろう。あるいは篠島あたりへ渡って行くことも出来た。でも今の時期はその時間がない。あと3時間もすれば暗くなってしまう。
師崎を回ると、海は伊勢湾から三河湾に変わる。対岸に工業地帯の姿がうっすらと浮かぶ。
そしてまたここも、いつかの海。
冬はスキー、となっていた頃。土曜日にスキーに行って日曜日はのんびり過ごす。そのなかで時にバイクを駆り、海まで走ることがあった。
かるく散歩程度の海。やはり缶コーヒーを一本飲むだけ。釣りの人々を眺め、一休みしたら早々に帰る。
今日もまた、缶コーヒーを一本。
早々と傾きかけ、色を帯びてきた空。そろそろ帰ろう。
いつかの海を巡り来た。これから先、また新しい「いつかの海」が増えていくのだろうか。
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