第44話 続けて行くこと・止めること

 例の雑誌の例の企画がまたやってくる。
 案内人のW氏が関西から中部に引っ越したために、これまでより関西が減り、中部地区は逆に増えた。俺はどちらだかわからない地域に住んでいるおかげでどちらでも良いのだが、関西の人たちには不評である。まあしょうがないがね。

 良く晴れた朝、DRを走らせる。気温が下がったおかげでキャブのセッティングが変わり、今がちょうど良いようだ。爆音系と思っていたOZのマフラーが実は静かだと言うことに気付く。高速道路での伸びも良く、気分良くバイクはグリーンロードを疾走する。西広瀬の駐車場に赤いXRを発見。そして枝下の出口に見覚えのある顔(確信は持てなかったが)を発見。
 上から回ろうかと温泉目印に進むが、雑誌に掲載されたよりももっと手前が通行止めで上からは入れないことが解る。30分以上ロスすることになった。引き返して信号を曲がろうとしたとき、前方から2台のバイク。おそらくT夫妻だと。



 これから林道、というところで、関西から来ていた人たちが待っていた。T夫妻の仲間である。この世界ではトップを独走するO氏も。
 少し談笑していたら、先ほどの都合3台がやって来た。バイクを止めてヘルメットを脱いだその顔は・・・N氏だった。そして連れのひとりは・・・なんとH氏。これまでの旧知ではあったのだが、これには初参加だとか。よく見ればそのバイクはN氏が以前に乗っていたTT−R。そうしてまたまた繋がりは広がっていく。

 せっかくなので、みんなで一緒に走ることに。

 普段は追いつけない関西勢は今回小型車なので、N氏を追いかける。決して無理はしないがクレバーな走りで速い。自分もいつになく乗れていたので少しランデブーなど。決してバトルではない。
 丹念に支線にも入っていく。N氏と先頭交代しながら。



 工事も日曜日は行われていないのでトラックが止まっていても通ることは出来るが、路面は激しく掘れて水たまりが深い。小型車の2人は大変だ。

 この探し物がもっと過熱気味だった頃。トップクラスの人たちが毎月全国を走り回っていた頃だ。俺も例に違わず毎月2カ所も3カ所も行ったものだ。それには250ccのオフロードバイクでは少々しんどいときもあり(何せ四国日帰りとかね)、対策として小型車を導入していた。モンキーバハから始まって、ストリートマジックを2台。当時まだ小型車使用の参加者は少なかったので、ストリートマジックと言えば俺のこと、だった・・・
 それから大型車に乗るようになり、月刊誌が季刊誌になって当たり前のように全国を回った。小型車の出番がなくなったので車もワゴンからセダンになり・・・結果的に生活のリズムはここから来ていた。

 100回を越えて認定される「ゴールド」の呼称。これがひとつの区切りになる。

 100回にたどり着いた順番、俺自身はたしか11番手で、そこまでの10人中8人は旧知である。会ったことのない2人を含め、そこまでの面々は全て誰だか解る。今日現在、その中で活動しているのは・・・3人?その多くが100回目を区切りでやめて行っている。俺も100回目以降は参加ペースを落とし、夏の間だけとなってきた。
 今また、車がワゴン車に代わり、ストマジもわりあい近くにある。モンキーバハも使おうと思えば使える環境。だが、もう小型車を持ってまで行くことはない。そればかりか大型車での出番も減った。

 今年再び手に入れたDR250Rは、この企画に初めて参加したときの相棒と同じ。一番多くの回数をこなしている車両。これからもこの車両での参加は続けていくことになるだろう。



 今のバイク仲間のほとんどは、実はこの企画で出会った人たちだ。引退して違う世界で走る人たちも、最初はここで出会って言葉を交わしたことから始まっている。
 BACKtoOFFroadが生まれた様に、今もまたいろいろと燻っているのは確か。その一端に自分も居るのもまた事実。ソレが原因でやめていった人たちが居るのもこれまた哀しい事実で。
 やめる理由が今のところ無い。だからこれからも。

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