『まえあし』
昨年、初めて北海道へと旅をした。

そこで見たもの、感じたことは、

真新しいものを目にしたような、そんな印象だった。

その日々から1年が過ぎた。

もっと、奥深いところまで知りたくなっていた。

好奇心を大きく抱かせる、何かがあった。

そして再び、北の大地へと私は足を運ばせた。

もっと北へ、もっとも北へ。

私の想いは、宗谷岬のさらに北まで行きそうだ。

7月7日:深夜の国道を抜けて

深夜の国道17号線に小さな光が駆け抜ける。

三国峠を越え、田園風景を抜け、

KSR110と共に、早朝の新潟東港へと向かう。

朝から暑い陽射しの新潟市内。

梅雨の最中にあるにも関わらず、真夏日のよう。

午前11時30分の小樽行きのフェリーに乗る。

青空の中、フェリーはゆっくりと港を離れていく。

昼間は穏かな天気が夕方から小雨混じりになっていく。

去年より良いさ、と特に不安も無く到着を待つ。

7月8日:最果ての町へ踏み出す。

午前4時。早朝というより、夜明け前の小樽港。

小雨が降り続く中、フェリーは到着する。

同じ便に乗るライダー達は、

多少落胆したような顔つきで合羽を羽織る。

私としては、この天気はどうでも良く、

むしろこれから先の旅路に期待感が強く、

目的とするところまで

確実に走ることが出来れば構わない。


雨空の小樽港は、それでも夜明けを迎える。

5時過ぎにようやく下船となり、

いよいよ最北の地へと向かっていく。

この時間の小樽運河に人の姿は無い。

そんな中をひとりで歩く。

大通りからわき道まで、

運河沿いの光景をゆっくりと眺めつづける。

自分の記憶の中に、何か思うところがある。

かつて訪れた倉敷の美観地区を思い出す。

それは共に幾多の歴史を超えて存在する街の記憶か。


小樽から国道を経由して札幌へと立ち寄る。

札幌中心部はマスの目の様になっているので、

それほど迷うことも無いかと考えていたが、

反対に区別がつかなくなり時折迷い込む。

それでもかろうじて大通公園に差し掛かる。

札幌のテレビ搭は、若干小さな東京タワー。

この旅のスタートにするには程よい大きさ。

その先に見えるのはTDNのゴールかエッフェル塔かも。

大都市札幌は早々に離れ、

石狩川を渡っていよいよ海沿いの道へと向かう。


留萌市まで続く国道231号線は、

右手に山や牧場や小さな集落が、

左手には常に海が続く道。

海岸の向こうに見えるものは無いけれど、

薄い霧の中を潜り抜けて行く風景は

いつもよりも新鮮で不思議な感じ。

天気もだいぶ快方に向かいつつある。

厚田村の集落でだいぶ遅い朝食。

こんな時に役立つのが「セイコーマート」である。

この先の旅でも非常に重宝な役割になっていく。


名も知らぬ幾つもの小さい峠や丘を越え、

厚田村から以北では、

田畑の中に風車が見えるようになってくる。

風力発電の先駆け的存在と言えば山形の立川村。

その有効性や環境への配慮が考えられ、

特に特異的な気候を持つ北海道では

数多くの地域で風車が立ち並び始めている。

この季節に咲くジャガイモの花のその奥に、

くるくると向きを変える風車の姿がある。

そこには自然と人工物の良い関係が成立している。


道程もほぼ中間点、

留萌市に差し掛かり、ここから国道231号線に。

稚内まで続く通称「オロロンライン」は

北海道を象徴する長い長い道程。

道の駅で早めの昼食。外に出ると、晴れ間が広がる。

遠くに利尻島の姿が見えている。

もっと海の広さを知りたくて、

名も知らぬ山道をひたすら登り始める。

そこに現れた牧草地の不思議な光景。

晴れ間が見せた、魅力有るひとときが始まった。


海はひたすらに青く、草原は果てしなく広い。

牧草を丸めたロールが至るところに点在する。

その奥に再び風車群が飛び込んでくる。

小木港から国道沿いに相川へと向かう。

風は軽く帽子を飛ばすほど、

しかしやさしく辺りを吹き流し、

風車を回しつづけていく。


午後に入ってからは、快調に距離を稼いでいく。

単純に、ただ走るだけである。

今はそれが何よりも楽しい。

目に見えるものに絶えず興味が湧き、

気になれば気が済むまで見る。

なかなか単調に走らさせては貰えない。

雨でやや濡れた靴下が気になって、

着替えたくって、探し回り温泉に入る。

そんな羽幌町での出来事も、

微妙なバランスの位置に有る出来事になる。


オロロンラインはいよいよ佳境に入っていく。

稚内までの距離が100kmを割り込み始める。

すると加速度的に距離が縮まるように感じる。

道は国道から県道に場所を移す。

そして視界には海と原野しか見えない。

これほどまでに皆無な光景は他に無い。

他に無いと言うより、過去に無い。

利尻富士の姿も、だいぶハッキリと見えている。

ここ数日は見えていないというから、

今の瞬間は絶景と言って言いのだろう。


日が少し傾き始めた。

淡い夕暮れを迎え始めようとしている。

それを承知でサロベツ原野に向かう。

ここで書くのはビジターセンターのことである。

もっとも華やかな一帯と言われる場所。

しかし目の前に広がるのは大きな湿原。

蝦夷梅雨と言われる、雨続きの影響らしい。

申し訳ない程度に花が咲いているが、

遠くに望む利尻の風景が

たった1輪の花でも存分に楽しませてくれる。

7月9日:宗谷岬の先に想うこと。
稚内には8日の夕方に到着したので、

翌日に宗谷岬へと向かう事にした。

前日、間も無く稚内市内という所で、

サイドスタンドのスプリングが欠けてしまったので、

市内のバイク店で代用パーツを調達し出発。

車体はカワサキ、バネはホンダ、取付金具はスズキ。

が、バイク店はヤマハの看板が掛かっていた。


出発は遅めの9時過ぎ。

昨日とは異なる快晴の朝だが、

湿度の低い北海道では居たって爽やか。

小トラブルも気にせず、宗谷岬に向かった。

海岸は広い浅瀬が続いているのが見える。

サロベツ原野では海が見えてもそばまで行けなかったので、

ここでは海岸沿いまで寄ってみる。

固く締まった浜、空と雲が2分割する光景、

緩やかな丘の向こうにある岬。

どうしても期待が膨らんでしまう一瞬。


午前11時前に、宗谷岬に到着。

およそ1日半かけて、遥か北端までたどり着いた。

排気量が小さい分、その感動は大きい。

これが大排気量車なら、

着いたその日に行ける距離かもしれないが、

ここで大切なのは、道の過程を心に刻むこと。

測量に訪れた間宮林蔵も、きっとそう思ったはずだ。


宗谷岬を少し離れて小高い丘を登る。

何も見えないスッキリとした海が見える。

丘には放牧された牛の姿があった。

宗谷岬が日本最北ならば、この場所は最北の牧場か。

この場所を離れて、北海道の内地へと向かう。

猿払の国道沿いでホタテを調達、堪能し、

猿払牧場のあまりの広大さに対し、

懸命に他との境界線を探し出し、

そして人の気配すらないクッチャロ湖で昼食。

まだまだ行きたい場所は山ほどある。


浜頓別から中頓別までの区間。

ツーリングマップルでは国道が遠巻きに通っている。

県道だと距離的には不利に見える。

今は中頓別、確かEDもやる…場所である。

そこで国道でも県道でもない道を縦断する。

過去の林道経験のなせる技、

山を頼り、迷いながらも距離圧縮を達成する。


土地鑑の無い地域での判断は、

必要以上に労力もかかる。

通りかかった道の駅美深でおやつタイム。(その表現は今使わないって)

ツーリングマップルでも登場する

くりじゃがコロッケの売り場はここである。

空いたお腹には1個じゃ足りず、

3種6個を食べきり、さらにあげじゃがと

カットメロン、牛乳2本までも収めて終了。

この瞬間が有る意味もっとも北海道らしいやり方。

ついでに食べそびれた昼食のパンも入りますが。


何時になく大挙なことをした性か、

美深を過ぎた後には雨に見舞われる。

そういえば、宗谷岬で会ったライダーから

『旭川は終日雨だから避けるべき』って言われたっけ。

でも、深川に宿を確保した以上、避けて通れない。

この先の国道の交通量を考えて、

一時的にタカス(鷹栖)峠を経由するルートに変更。

このルートが意外と快適で、

都市部通過を避けるには絶好の場所となると思った。

霧の峠道の姿も、まさしく北海道の一面だった。

7月10日:最後までその場所で。
道内最後の宿となったのが「イルム丘YH」。

晴れた日なら、ここから深川の夜景も見えると言う。

しかし雨中ではそれを望むことは乏しい。

ペアレントの案内による湯の花温泉が、

偶然無料で入れたのが不幸中の幸いだった。

土曜日にあたる道内最終日。天気は雨。

YHにはトレッキングに出発する人が集まっている。

ここから雨竜沼湿原に向かうとの事だが、全行程では無さそう。

お互いの旅の安全を願って出発した。


深川から最も近い妹背牛町に向かう。

「太陽を味方にした町」と言われるここには、

ヒマワリ畑がある。太陽とはヒマワリの事だ。

同じ主旨なら名寄や北竜の方が著名かもしれないが。

この天気だから、若干諦め気味だったが、

ヒマワリ畑開園の初日は数本の花が咲くに留まった。

でも、心の中では晴れた日のこの場所を考えていた。

今は緑一面の畑だが、ここが眩しく黄色に輝く時、

太陽よりも強い光が差し込んでくることを。


妹背牛から浦臼を経由する。

浦臼一帯ではメロンの販売所が立ち並ぶ。

今は夕張とこの浦臼など周辺町村で

メロンの品質向上を繰り返してきていると聞いた。

実際、食べる上では全く遜色が無いように感じる。

そこから岩見沢市、早来町から鵡川町に行く。

鵡川はシシャモの町。道の駅に有る温泉に入り、

風呂上りにシシャモとホッキ貝などを。

駐車場の脇に奇妙な車を発見する。

道の駅を縦断しているライダー…じゃなくキャンパーだった。


鵡川から苫小牧東港へ向かう。

北海道の道も、もうすぐ終わりを告げるときが近づいた。

最後に走る国道は、

昨年始めてきた時と同じ国道235号線。

この道から全てが始まったのである。

そして終わりは霧の中。

昨年と、まったく同じシチュエーションだった。

これも何かの偶然なのだろうか。

それとも何かへと続くことへの序章なのだろうか。

いろんな事を考えつつ、苫小牧東港へと向かう。


苫小牧東港は苫小牧港(正確には西港)に比べて、

歴史も浅い新港。開発が遅れ気味なので、周囲に何も無い。

まぁ、おおらかな大地だから寛容に受け止めているけど。

週末と言うことも有り、ターミナルには多数のライダーと出会う。

ここまでの過程を話せば、単純に驚愕することばかり。

小樽〜稚内、稚内〜深川、深川〜苫小牧が1日づつ。

そこに群馬〜新潟の往復があり、それがKSR110の旅だから。

そういえば、9,000kmに及ばないメーターも、

この旅によって10,000kmを壁を越えていき、

さらに11,000kmにまで及ぼうとしていたのだから。


小雨が止み、苫小牧東港をフェリーが離れる。

深夜に太平洋から日本海へ移り、

翌朝には秋田港へ寄港し、再び離れていく。

フェリーはこの後、私が降りる新潟東港に寄港し、

福井の敦賀港へまで寄り道を続けていく。

まるでローカル列車のような旅をしながら進んでいく。

新潟東港に降りる時、空は来た時と同じ快晴。

北海道の梅雨空が何事だったのかと思うほど。

夕方に差し掛かる新潟を後にして、

日もスッカリ暮れた頃に、自宅に戻った。

『うしろあし』
今年は、いろんな意味で「求め続ける」旅だった。

目に見えない筈の、その先に有るモノを、

ただひたすらに追いつづけていたような気がする。

見えないものは追える訳は無いけれども、

それで終わることが無い。

終わらないから旅は続く。

それが、いつもいつも続く旅の理由なのだろう。

文・写真 : 山本賢史

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