其の四 




時代は、確実に流れている。

人も、社会も、厳しい闘いを強いられている。

そして勝者と敗者に分けられている。

勝者に全て有る訳ではないのだが、

かといって敗者に選択の余地は少ない。

11月の最終日曜日、この遊園地は閉園する。

僅か2週間前に決まった、突然の出来事。

『私達の小さな夢が消えてしまわないように。』

そんな思いを馳せて、向かった。


「高崎観音山総合レジャーパーク・カッパピア」。

昭和36年に設立された遊園地。

前身は戦後の「移動動物園」に端を発するという。

当時は「高崎フェアリーランド」という名称だったが、

昭和44年に設置された大規模プールにより、

「海無し県」にある水の楽園と言う意味で

一般公募で決定されて、現在に至った。


現在はおよそ40のアトラクションを抱えるが、

開園当初は半数にも至らない。

しかし、当時としては大観覧車やジェットコースターなどは

アジア最大級と言うサイズで、

最盛期には年間60万人を超えたりするなど、

戦後復興後の人々に多くの夢を与えつづけてきた。

私自身も幼少期から四季を通じて遊びに行く

ちょっと贅沢で、何より楽しみな場所だった。

北関東ではこれでも充分過ぎる大きさなのだ。


しかし、私達が足蹴に通う頃から

少しづつ衰退の一途をたどっていった。

最盛期以降、来園者数が大きく下がっていったのである。

趣味の多様化、乱立、巨大化していく娯楽施設、

維持管理費用の増大という面もあったかもしれない。

また、対象となる若年層の減少も追い討ちになった。

昭和50年代に「宙返りジェットコースター(1回転)」の登場で

30万人程度まで回復するものの、

ここ数年は10万人前後を維持するのが限界だったようだ。


カッパピアには開園当時から変わらないものも多い。

ジェットコースター、豆汽車、回転木馬。

大観覧車や接続用のケーブルカー、

三半規管の仕組みを利用した「ビックリハウス」。

大きく形を変えることなく、事故も少なく、

実に42年もの間稼動しつづけてきた。

この事実は、歴史が無ければ達成できない。


そして、閉園の日を迎えることになった。

成人になった今でも、年に1度は訪れていた。

流石に大きさが合わないものも有るけれど、

それでも昔と今を往来しながら、遊ぶ。

自分なりにはずっと身近な存在だった。

巨大なテーマパークに出向くより、

こちらの方が遥かに気楽だった。


園内には過去の模様が掲示されていた。

私にとってそれは、手に取るようにわかること。

幼い心に秘めた想いが、幾らでも吹き出してくる。

園内を高台から見下ろすと、かつて私が見ていた、

華やかだった頃の賑わいがあった。

最後の日だから、当然かもしれないけれど、

その光景は最も自然な姿だった。


こうしてカッパピアに夕暮れが訪れる頃、

閉園の音と共に長い歴史の終焉を迎えた。

私はここで沢山の夢を見つづけていた。

それはもう記憶の中にしか残らない。

遊園地が与えつづけてきた夢。

これからは与えた分の夢を見る事になるのだろうか。

それが、最後の夢にならないと良いのだが。

文・写真 : 山本賢史

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