海から海へ、また海へ
日本は、タテに長い国である。まあ長いと行ってもたかだか3000キロ、たいしたことはないのだが。
そうはいっても縦断するのはそう簡単ではなく、4島を走るだけで3〜4日は見ておかないといけない。「ちょっと日本縦断してきますわ」などというツーリングはそうたびたび出来るモノではない。
しかしながら、横断することは簡単に出来てしまうのである。
四方を海に囲まれた日本、東に太平洋・西に日本海。北のオホーツク海と南の東シナ海は簡単には行き来できなくとも、太平洋と日本海の行き来は気軽にツーリングコースが組める。
日本に太平洋岸は数あれど、由緒正しきはやはり高知は桂浜だろう。
この地から日本海を目指して見ようではないか。
砂浜としては三重の御座にさえかなうはずもなく。観光地としての小さな砂浜がその姿。なにしろここに入るのにバイクでさえ駐車料金を払ってのご入場と相成るわけだ。
それでも遮るモノのない大海原は、目をこらしてみても対岸が見えることはない。あり得ない。
目の前に見えるのは海。それだけ。それでも見えない対岸を夢見る。
四国へ来てこれを食わずして帰れるか。
「アイスクリン」は「なつかしい味」らしい。いかなことこれを懐かしいと思うほど年を重ねたわけではない。ただ、うまいモノはうまい。これを頬張りながら(なめるという感覚とは違う)砂浜を歩く。
竜馬もまた太平洋を眺める。
あんたはアメリカしか見てなかったんだろうね。俺たちはこれから中国を見て行かなきゃならんのだよ。
そう、中国、要は一番近い大陸が見える海へこれから行くつもりだ。
さて、名残惜しいが太平洋とはお別れだ。
「小さい男」である俺には見えない相手を見据える甲斐性はない。小さく見えるトモダチ、本当はとてつもなく大きな敵を睨みに行くのだ。
土佐の高知のはりまや橋で・・・向かいのビルに「かんざし」とあるのがオシャレだ。
今は既に橋としての意味も何もあったモノじゃないが、はりまや橋は高知のシンボル。
こうしてみると古い橋を意識しているわけですけどね。これは昭和作なのですわ。
まあ、はりまや橋がコンクリートの欄干「だけ」てのは寂しいんで、こういう意味なしオブジェでも・・・
そんなわけで一夜明けた朝。
日本はタテに長い国であるだけに、ヨコは短いのである。なに、一日有れば横断できるのさ。
「中国を睨みに行くぞ」などという勇ましい?思いはすでに昨夜の酒とともに消え去り、今夜の日の入りを楽しむために行くのが「旅人」ならぬ「旅行者」だ。
横断ルートはいくつもある。とりあえず3つは大きなルートがある。高知から高松へ32号線、松山へ33号線。こうした幹線級の道では面白くない。奇しくも最短に近いルートは直進して伊予西条へと四国の屋根を越える
ムササビの里なる道の駅に立ち寄り由来を問えば、形がムササビと見てたいへん失望。そんなものに繁栄を託すのか。日本の将来は暗い・・・などとまた沸々と。
南海のわずかな平野を出てからまだ1時間も経っていない。すでに辺りは完全なる山の風景になっている。春の霞にはそろそろお別れと行きたい今日この頃、しかしすっきりと抜けてはくれない空を見上げる。
せっかく山へ来たのだから・・・
四国は林道の宝庫である。かつてのTBIなどが行われた背景は、この豊富な林道群があってこそのものだ。
四国の屋根に渦巻く林道、素通りするには忍びない。時間の許す限り走ってみようか。
わざわざ四国まで来て難所を走ることはない。こんなに走りやすい林道が当たり前のようにあるのだから。
別に軽量車でなくても十分に走ることが出来る。
ここは大森ダムを中心に四方八方に網の目のように林道群がうごめく。どれも長い距離を走れる。そのかわり方向を定めないとどこへ行くかわからないが。
入り組んでくると居場所がわからなくなってくる。時間があればくまなく走って出たとこ勝負、しかしそんな時間がない今日は、要所でGPSの情報を拾い居場所を特定する。林道とは行ってもかなりメジャーなところなら電子地図にも道筋があることも多い。基本的には周囲の地図から場所を特定し、紙の地図に照らし合わせて行き先を考える。
これより奥深くはいると夕日までに間に合うかわからなくなる。一般道へ戻るルートを探し出す。
四国の屋根、峠の辺りで小休止。
代わり映えしない山の風景ではあるモノの、山の深さがその色に現れる。
そこそこのペースで走っていても林道ではやはり時間を食ってしまっていた。そろそろ目的の海を目指すルートに戻ろう。
四国へ来て温泉へ入っていなかった。道の駅に温泉があったがまだ営業時間には早かった。
四国横断ルートでは32号線の祖谷渓や33号線の道後など魅力的な温泉が多いが、このルートには多くなかった。残念ながら四国の温泉はまた次の機会に譲る。
寒風山はかつては難所であった。細い峠をウネウネと上り下りしたものだ。
今ではとてつもなく長いトンネル一本を通り抜けるだけの簡単な峠越え。
南国のイメージの強い四国においても冬は雪も降る。石鎚山から寒風山のあたりはスキー場もあるほどで。トンネルが出来たことで冬の峠越えも楽になったことだろう。
峠を越えると、海に出た。
しかしそこは目指している日本海とは違う。
四国から山陰へ抜ける横断ルートは、3つの海を見ることになる。
その二つ目は、瀬戸内海。
野蛮な男の香りのする太平洋は夏のイメージ、女性的な日本海は冬のイメージ。おだやかな瀬戸内海はさしずめ春のイメージか。
由緒正しき瀬戸内海を探すために海を渡る。
島から島へと。それが瀬戸内海の姿。
それにふさわしいルートは、しまなみ海道ではなかろうか。
とりあえずタコ飯など食ってみる。
太平洋には太平洋の魚貝があったように、瀬戸内には瀬戸内の海産物がある。
来島海峡を走って渡る。
しまなみ海道は、高速道路ではなく高規格道として作られている。同じ道を走るわけではないが、自転車や原付バイクでも渡ることが出来る。
そうなると原付で渡ってやろう、という人が増えるもので。
でも、多くは大きなバイクで渡ることだろう。小さなバイクで渡ればネタになっても大きなバイクでは何もおこらない・・・そんなものだろうか。
ゆっくりズムも悪くない。が、ゆっくり出来ない事情だってある。大きなバイクで走るのだってツーリングの形としてはいいだろう?
そういう道だけに、路上で停まることにも寛容なのか。本四の他のルートのような仰々しい停車禁止の表示もなく、マイクでがなり立てられることもない。本当に良いのかどうかはわからないが、広場に停めて写真など撮る余裕もある。
橋によって結ばれた今も、普段の交通には船が活躍している。
橋を通るよりも安く島々を結ぶ。古くから海上交通を主とするしかなかった島々は、港湾を中心に栄える。とってつけたような橋はそれらの地からすこし離れてしまう。本来島民の生活を変えるべきあたらしい交通手段は、観光に使われている比率の方が高いと思われる。
瀬戸らしき光景。
由緒正しき瀬戸の姿。それは海上交通の姿ではないか。
島から島へと船が行き交う。
「瀬戸の花嫁」の世界。
「瀬戸の花嫁」では「段々畑とさよならするのよ」と歌われる。
平地の少ない島だからこそこうした生活が営まれ、それが島の風景を決める。
船が島から島へと渡るならば、私は海から海へと渡ってきた。
太平洋から瀬戸内海へ。
そして、また海へ。
もうひとつの海を目指して再び北進を続ける。
尾道で瀬戸内海を渡りきり、本州へ入る。
ここから日本海を目指すルートはそれこそ数え切れないくらいある。
残念ながら小市民の私に許された時間は今日いっぱい。今夜には帰らなければならない。
陰陽連絡の主要ルートとして岡山〜米子ルートがその筆頭をなす。
海から山を越えて海へ、そしてまた山を越える。
また海へ行くために。
四国で果たせなかった温泉を、湯原温泉で湯浴みとする。
詳しくは「飲・食・浸」で。
湯浴みの後は爽快なワインディングロードとまいろうか。
湯原から蒜山を通って大山へ、山岳ルートを選択した。
爽快さでは5指に入ると思われる蒜山スカイラインは晴れ渡った空の下。
高原のさわやかな風を切り裂き、バイクは軽やかに踊る。
冬の名残りが日陰に。ここもまた冬は雪に閉ざされるところ。国体開催クラスのスキー場がある大山は中国地方屈指の雪質を誇る・・・様な話を聞いたことがある。さすがにここまでスキーには来ることがないが。
海が見えた!
海から海へと渡ってきた。そしてまた海へ。
春の日本海は穏やかだった。
由緒正しき太平洋から由緒正しき瀬戸内海を越えてきた。由緒正しき日本海とは?
思うに、もっと北の方のイメージが強くないか。
いいさ、またの機会にそんな日本海を見に行けば。
ここで夕陽待ちとしたいところだが、まだ日は高い。
ここで夕陽を迎えてしまうと、帰るのが朝になってしまうか。
しからばしばらく日本海を左手に、夕陽の時間までつきあってみようか。
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