第22回 国道260号線
パールロードの奥志摩区間は、国道260号線と交わっている。
この国道は志摩郡阿児町から紀勢町まで海岸線を行く国道だ。
海岸線、しかも外海である太平洋に面するので、灯台などの施設は数多い。
安乗崎、大王崎の灯台へは国道からはずれて細い海辺の街へ入っていく。
船越の海岸は沿線でも有数の風景を望める。
密漁監視中の旗が風になびく。漁業で暮らしを立てている町だから、海の産物は財産だ。
リアス式海岸の志摩の海に道を造るには、丹念に海岸線に沿うか、あるいは大きな橋で海峡を一気に渡ってしまうことになる。
近代的な橋は海の町の新しい風景にようやく馴染み始めた。
それとて簡単に工事は進まず、延伸にはまだまだ時間が掛かる。この先主要な町も少なく、投資効果もすぐには出てこないので償却出来るか微妙なのも一因だろうか。
和具の町は昔ながらの細い路地を通って。
御座でぷっつりと道路の白線が途絶えた。
ここは御座岬の先端、目の前は、海だ。
ここから先の交通は船によることになる。道がなければ海上を行くしか手はないのだ。
しかし1日に数本の小さな客船が走るだけの航路は、日常の足としてはどうにも心許ない。
かつてここには、フェリーが就航していた。
国道260号線はこの奥志摩フェリーを海上道路として浜島へ渡っていたのだ。
このフェリーが廃止されたのはもう20年近くも昔になる。台風により座礁したフェリーを修復することが出来ず、そのまま航路が廃止されていった。
こうなればかつてフェリーが行き交っていた一方の港、浜島まで内海を回り、国道の旅を再開させるしかない。
阿児の中心、鵜方駅前の賑わいは、これから市になろうとする勢いが見える。
「町」の財政はなぜか「市」より潤っているところが多いのか、町の公共施設は市のそれよりおしなべて立派だ。ここ阿児町もそれに漏れない。
国道の起点はこの交差点になる。どうせ戻ってくることがわかっていたので起点からスタートしていなかったのだった。
しばらく県道を巡り、浜島を目指す。
浜島もやはり漁業の町だ。
近年は優れた温泉も湧出し、観光の道も探りつつある。
そして奥志摩フェリーの発着港へ。
港から突然始まる道路には、見慣れた国道の標識が見える。
そう、ここからまた国道260号線の旅が再開される。
時の流れは近代化を進めつつある。4つのトンネルが開通したのはここ数年のこと。
崖の上にへばりつくように立ち並ぶ別荘群の中で使われているのは今どれほどだろうか?
別荘のブームなど遠い昔に去り、朽ち果てるのを待つばかりの荒れ果てた別荘地が各地に散見する。ここにしても、海の町なのになぜにあれほどの高台に建てたのか。
近代化の届かない区間もまだ残っている。これがイメージの中にある国道260号線の姿だったのだが・・・
磯部からの県道と交わると交通量が増える。南勢町から伊勢方面へのメインルートは国道ではなく県道だ。
かつての難所、三浦峠はすでに国道のメインルートを外れていた。
迂回するトンネルが完成し、すれ違うのも困難な峠の暗いトンネルは昔日の思い出に埋もれ去った。
「酷道」の代表がここ260号線であったのはもう一昔以上も前のことになってしまったか。今となってはどこにでもある3桁国道と遜色ない快適さを誇るようにもなった。
南勢町から南島町へ。
季節はちょうど桜の時期。短い盛りは週の半ばに過ぎたようで、前後の週末には全てを見せてもらえなかった。
不動滝、の文字に惹かれて林道へ入ってみる。
この道沿いにはいくつかの不動滝があり、ここもその一つ。
林道はやがてF650の手に負えない道になった。
歩きでさらに奥を目指すが、このところ雨が降っていないため水の量が少ない。途中から道筋を失い、引き返すことにする。
さて、酷道のもうひとつの難所、錦峠への登攀である。
ここも三浦峠に匹敵する狭い峠がこれまで交通の流れを拒んできた。
しかし、ここもすでにその姿は遠い昔のものとなったようだ・・・
一気に峠まで上がった後は高速道路への取り付け道路的な県道に「吸収」されてしまう。
向かいの山肌に一瞬見える錦峠の細道へは通行を制限されており、今は入ることが出来ない。
そしてこのトンネルが貫通すれば、錦から「峠」そのものが消滅する・・・のかもしれない。
県内最大の水揚げ量を誇ると言われる錦港へのルートが確保されれば経済的にも大きいのだろう。これまで手が付けられていなかったのが遅すぎただけで、いつかは開発されるべきところだったのだろう。
もちろん、「酷道」など求めるのは一部の物好きだけであり、地元住民は快適な国道になってくれることを望んでいるのは言うまでもない。
紀伊長島にほど近く、オートキャンプ場の草分けである「孫太郎」がある。近代的なオートキャンプ場で、バイクでのキャンプには縁が遠いが。
紀伊長島で国道42号に交わることで国道260号線は終わった。
求めていた昔日の「酷道」はすでにそこにはなかった。
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